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六花ノ雨音

六花恵のABUNAI日記。思うままに世界を楽しむブログです。アクセサリー作家、トータルビューティー、音楽、アートなど。

「ワタシ友達いないの〜」と言う人の心理

道立近代美術館でやってるアール・ヌーヴォーのガラス展に行ってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ガラスが好きだ。
落としたら割れてしまうようなものを、こんなにも手間暇かけて丁寧に作り上げている様がかっこいい。それに見ていて飽きないし、きれい。
アール・ヌーヴォーと言っても、東洋の影響をとても受けている印象があった。
このような展覧会に行くと、色の配色を参考にしようとして、無意識に見ている自分に気づく。派手好きなのでね、どんな組み合わせがいいのか、綺麗なのかを知るにはとてもいい。
 
 
ところでタイトルの話。
 
私の友達ではないのだが、とある人が結構頻繁に「わたし友達いないし」ということをFacebookに書いている。
いないのはいいけれど、じゃぁ君のFacebookにいる友達は友達ではないのかい?と思う訳だ。その子は、実際に会ったことなくても申請があればFacebook上でつながるらしい。
 
もし、君のことを友達と思っている人がそれをみたら、悲しくなるだろうと私は想像するのだが、この人はそういう配慮?気配り?が出来ないだけなのだろうか。
 
それとも、友達なんていらねえんだよ近寄るんじゃあねえやい!やけどするぜ!という感じなのだろうか(笑)
 
私が思うに、きっと寂しいんだろう。だが
「私は人とは違うの、だから私と仲良くなって分かり合えたり友達になるなんて超むずかしいことなの。私のことを理解できる人なんているのかしら。だから本当は友達欲しいけど、もし私に友達がたくさんいたら私が人と一緒だということになってしまうし、とりあえずいないって言っておけば体制保てるから言ってるだけ。」
 
こんなぐあいだろうかか。
もし私がこの子の友達で、こういう書き込み見たらちょっと距離置こうかなと思う。
「あぁ・・・私はあなたのこと友達と思っていたけれど、違うのね。それならあまり連絡したら迷惑よね。」
 
もちろん、親友となると難しい。生きているうちに一人でも親友と呼べる人に出会えれば、それは本当に幸福なことだし、人生の喜びだと思う。
 
だけど、友達なんて簡単でしょ?一回遊んで飲んだらもう友達だよね?
 
NYに住んでいたとき、いろんな国の子と仲良くなったりしたが、彼らと遊ぶ時はいつも知らない人が輪の中にいた。
一緒に遊ぼうよーって約束して、待ち合わせ場所に行くと知らない人がいたりして(笑)
 
大人数になると、いちいち自己紹介なんてしないでそのまんま遊んでいた。まるで保育園の頃のように、「誰がいようと、どんな人が居ようと関係なくその場に集中して遊べる能力」
 
を思い出したのだ。
大人になるにつれて、その力はなくなっていく。なぜなら、自然に他人を判断するようになるから。
自分が他人を判断している限り、きっと私も誰かから判断されるのだろう。
 
もちろん身を守るためには必要な能力だが、友達になるのにそんなの必要ない。
 
 
昔の友達で、よく「わたし友達いないからさ」と言う子がいた。その子には友達が「いない」のではなく、「少ない」だけだったのだが、その言葉のチョイスには天と地ほどの差があった。
今では音信不通になってしまったが、彼女の言葉通りの現実になっていなければいいなと願っている。
 
言葉は現実をつくるから。
 
私はと言うと、親よりも年上の人のことを友達と言ってしまう。それはそれでどうやろかーと思うが、でも友達以外に表現する言葉がないのだ。
もし相手が悪く思っていないのなら、友達と呼ばせてほしい。
 
 
 
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