六花ノ雨音

六花恵のABUNAI日記。思うままに世界を楽しむブログです。アクセサリー作家、トータルビューティー、音楽、アートなど。

珈琲の中にうかんだいのち〜哲学する猫〜

ある日、ちょっとだけ体調が悪くて、体よりもこころのほうが元気がなくて、昼過ぎまでダラダラしていた。外は晴天で、今日は月曜日で、わたしは仕事もしないでなにしているんだろうと思った。

やっとこさ起き上がって、かんたんに朝ご飯を(じかんはひるだけど)食べて、食後の珈琲を煎れていた。豆を挽くところからはじまるこの儀式は、ガリガリじょじょじょコポコポぽとぽと、いろんな音がする。フィルターの中の世界は大忙しで、それもこれもすべておいしい珈琲になるため、みんな総動員してがんばっている。

私は月曜日の昼になにもがんばらないでなにをしているんだろうと、また自分をせめた。

 

珈琲を飲みながら、ふとんの上でほんを書くのが日課だ。そのとき書いていたのは、哲学する猫というほんで、ねこがねことはどういうもので私はどこらへんがねこなんだろうという疑問をもつところから始まる。

ねこはいつも昼寝をしたりあそんだりして暮らしていていいなぁと人間は思いたがるけれど、猫のあたまのなかは哲学でいっぱいなのだ。

 

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だからねこによっては、とても難しい顔をしたのもいるし、ぜったいに笑わなそうなねこもいるし、様々だ。

そうやってキーボードをかたかたさせていると、珈琲カップの中に黒いかたまりが溺れているのをみつけた。それは何ていう虫かは分からなかったけど、その珈琲の中で息絶えた。

じっさいには、とても苦しそうにもがいていたから、私がカップをぐるぐるさせておぼれさせたのだ。

 

飲めなくなった珈琲と虫の死骸を見つめて、哲学する猫はこう言った。

「もし私が死んだら、どこにいくのかな。」

すると、隣の家に住む老猫が答えた。

「ずっとここにあるのよ。」

なぁんだ。そうか。

 

私は、目のまえで息絶えた虫に腹を立てた(珈琲が無駄になってしまったから)事を謝って、のこりどのくらいあるか分からない人生を、どうにか生きていこうと思った。

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