六花ノ雨音

六花恵のABUNAI日記。思うままに世界を楽しむブログです。アクセサリー作家、トータルビューティー、音楽、アートなど。

素直になればなるほど好かれるという皮肉

好かれるために涙ぐましい努力をし、飾り立てたあの頃。

それは、親がいなければ生きていけなかった子ども時代を引きずっているのに似ている。

そっぽむかれたらご飯が食べられないから、いい子でいる。

そんなことを毎日毎日していたら、本来の自分では愛されないのだと思ってしまう。

だから、飾り立て、気を使い、いい気分にさせて、可もなく不可もないチェーン店の居酒屋のような存在でいる。

 

しかし、チェーン店の居酒屋に入るには、ひとりでは行きにくいし、求めるものは安さと手頃感とそれなりの食事だから、とくに思い出に残ることもない。店員と話すことなく機械で注文し、安酒で記憶を飛ばして、食べ散らかして去る。

 

その点、路地裏にぽつんと佇むこじんまりとした飲み屋やバーはいいね。

その人だけの色がはっきり出ていて、まるでそこにひとつの答えがあるよう。適応したり、媚び諂ったりしないので、気に入らないなら出ていけというスタンスではあるが、それを面白がることが生きる楽しさだったり、人と接する楽しみでもある。

 

皮肉にも、素直になればなるほど、人に好かれる。とはそういうことなのです。

もちろん敵も増えるでしょうね。嫌われることもあるでしょうね。でも、それは愛の違った表現方法なのです。

つまり、愛の一種であるということです。

だから、愛されているということにもなりうるのですね。

 

好かれるために人のゴキゲンを伺って飾り立てる自分は、愛からどんどん遠ざかり、可もなく不可もない、興味のもてないどうでもいい存在、に成り果ててしまう。

だって、そんな自分を自分が愛せるはずがないもの。

 

他人というのは全て鏡。

 

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他人の素晴らしいところばかり見えるのは、他人が素晴らしいのではなく(もちろん素晴らしいのですが)自分が素晴らしいということ。

他人の嫌なところばかりが見えるのは、自分が嫌だから。自分の嫌な部分を見ているだけにすぎないのです。

 

 

 

最近わたしはアイメイクをほぼしません。

ゴールドのアイシャドウを目尻に薄くのせるだけで終了です。マスカラも塗りません。

おもしろいなー、昔はまっくろパンダだったのに笑

 

理由はかんたん、しない方がかわいいやんと思ったから。笑

 

 

そうそう、今日読んだ本で面白い表現があったので書き記しておこうと思います。

 

『心とは脳のプロセス上の産物にほかならない。つまり、心は脳が活動している状態を指す。物体ではない。脳を細分化しても心はどこにも見出せないだろう。車を部品に解体したところでスピードというものがどこにも現れないのとおなじことである。スピードは車の動きの状態のことだ。』

 

 

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