六花ノ雨音

六花恵のABUNAI日記。思うままに世界を楽しむブログです。アクセサリー作家、トータルビューティー、音楽、アートなど。

欲しいもののその先にあるなにか~見えない欲望~

お金が欲しい人は、お金そのものを欲しがっているわけではないというあたりまえなことに、なぜ私は今まで気づくことができなかったのだろう。

だって、お金そのものにはなんの価値もないのですから。

お金に価値があるのは、大抵のものが買えるからでしょう。つまり自由ということです。お金があればあそこにもいける、こんなこともできる、嫌な仕事をしなくてすむ。でも待てよ、果たして本当にそうなのか。お金がなければそれらは出来ないのか。その前に、お金がなければ自由でいられないのか。

そんなことを思いました。

車が欲しいのも同じです。車があれば自由に動ける。車そのものが欲しいのではなく、自由に動ける手段であるから車が欲しいのです。

では、私が今いちばん欲しいものは?

 

答えはすぐに出てきました。「自由」です。

美輪さんが言っていました「生きていく上で自由が一番大切」と。私はてっきり、「愛」とおっしゃるのかと思っていましたから、少しびっくりしたのを覚えています。

しかし考えてみれば、人間が愛そのものなので、大切もなにもないのですね。

 

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健康でありたいと願うのも、病気になれば自由がなくなるからだろうし、日々選択の連続を生きているのも、自分の自由意志で生きているということでしょう。

でも、人は知らず知らずのうちに型にはまっていきます。楽な方へ流されていくのです。そこで、人は自由という不安がつきものの道を選ぶのか、それとも自由はないが楽な道をえらぶのか、分かれ道の岐路に立たされます。

私は小さいころから、人に決められることが嫌いでした。中学の時にはすでに学校が嫌で、義務という言葉が大嫌いでした。気持ちは身売りしているサラリーマンと同じでした。そこには自由意志が一切なかったのです。イスに座って時間が過ぎるのをひたすら耐えている、そんな中学時代でした。だから無駄に老けていたのを覚えています。

 

ようやく中学を卒業・・・この支配からの卒業をしたわけですが、義務という言葉からは卒業できたはずの高校生活は、中学と何も変わらない場所でした。だから私はすぐに辞めて、通信制の高校へ編入しました。結局、トータルで4年間の高校生活でしたが、通信制の高校に行って生まれてはじめて自由を感じることができました。

それからは自分で働いて、自分で住む場所を決めて、いろんな場所で暮らしました。思えば私の人生は、自由を求めて生きているなぁと思います。しかし最近感じるのは、行動面では思いっきり自由に生きているつもりでも、頭の中はまだまだ不自由で、強張っている感じがあること。今はそれに気付けただけでも大収穫なのです。

 

 

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欲望の向こう側には、本当に求めているものがあります。それが何なのか、自分で把握しているかしていないかで、道がクリアになっていくのです。

私の場合は、すべてが自由に繋がっています。仕事も何もかも、自由であるということが大前提にある。今習得したいのは自由に考えるということ。自由に考えるということは、義務教育で学んだ考え方を全て忘れるということでもあります。

頭の強張りをなくして、二つ目の正解を考える。自由とは本当に魅力的で、自分を輝かせる大切な空間なのです。

みなさんは本当の自分の欲望を、知っていますか?

 

 

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