読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

六花ノ雨音

六花恵のABUNAI日記。思うままに世界を楽しむブログです。アクセサリー作家、トータルビューティー、音楽、アートなど。

マツコDXに物申してみる〜批判の先にある愛〜

「ありがとう、君がいてくれて、本当よかったよ・・・」なんて詞をどう解釈しろというのよ。
どこに心の機微があるの?
「ありがとう」ということを自分なりの言葉に代えて表現することこそが、作詞活動じゃないの?
あのボキャブラリーでよく歌詞なんか書こうと思ったものね。
あんな三歳児でもわかるようなフレーズじゃないと、
今の若い子たちは共感できないの?
そんなに想像力がなくなっているの?
あの稚拙な歌詞を見せられて、
「小学生の読書感想文じゃないんだぞ」ってツッコミすらできないの?
等身大の思いというのは、いつの世にもあったけど、
自分のことを世代の代表として選ばれたアーティストとして自負しているなら、
カッコつけようとかプライドがあるはず。
でも、それが西野カナには微塵も感じられないのよ。
彼女だけが問題じゃない。
こんな薄っぺらい歌詞を、
何の疑いもなく支持してしまっている女子高生たちの精神構造もわからないのよ。
与えられたものを何も考えずにそのまま受け入れているだけ。
だからあんな詞に対して「そうだよね。わかるぅ。友達と会えてよかったよね」ってなるのね。
西野カナの場合は、頭の悪い女子高生に「これこそ現代の女神よ」とか本気で思わせてるわけでしょ。
タチが悪いと思うよ。
「人たらし」だよ。
マツコ・デラックス著『世迷いごと』】 

 

 

f:id:subeteumai:20151202154019j:plain

 

 

これね、Twitterですごく見て、共感はしたんですよね。常々思っていることだったから。ここ数年で似たような詩を書く人がたくさんいすぎて、顔見ただけで「あっち系」だなというのが分かるようになりました(笑)それだけ表現がないんです、

マツコは「表現できない」と言うけれど、私は「表現しない」だけなんじゃないかと思うんですね。自分なりに考えた結果、これだなと思ったのが

小さいころからインターネットが身近にあった。

 

これどういうことかと言うとね、多感な時期から、もしかしたらそれよりも前から人の内面や本音を見たり聞いたりしてきたってこと。匿名で言いたい放題言える掲示板とかいろいろあるよね?あんなもんを小さい頃から見てきたらさ、目の前にいる人の笑顔だって信じられなくなったりするよ。この人は腹の中でどう思っているんだろう、なんてことをずっと考えてきてればさ、もう見たくもなくなる。

ある線を誰しもが持っていて、そこから先は脳がシャットアウトするようになってるんじゃないだろうか。その線、ボーダーラインっていうのが若い子には近くにありすぎるんだよね。だから、想像力なんて働かせられないし、歌い手も作り手も、危険ラインからもっと手前のところまでしか踏み込まない。それによってあーゆううすっぺらい曲になるわけです。

考えたらノイローゼや引きこもりになっちゃうから、この匿名さんは誰だろうなんて詮索しない。つまり考えない。シャットアウトする。それで明日もまた学校でぺらい友達ごっこをして、たまに脳内にネットの記憶が蘇ってきても無視。心の機敏なんて感じたくねえしそんな悠長なこと言ってられないほど傷ついているんだよ。

よかったよ、(とりあえず今は)きみがいてくれて、わたしひとりじゃない(だから昨日のあの書き込みも君じゃないよね)、ありがとう、だいすきだよ

平仮名がお似合いの喋る言葉たちは、ふわふわして現実味がない。何が本当で何が嘘なのか、本心が分からない。分かりたくもない。

怖いから。

だけど夢をみたい。だから生温いお湯の中でふわふわ浮いている。そこが安全だと思い込んでいる。

 

とにかく、根底にあるのは恐怖心です。だから自分の本心すらも分からないまま、分かろうともしないまま成長していくのです。人たらしでなければ世の中生きていけないのかもしれません。

音楽は娯楽です。説教するためのツールでもなければ、世界を変える力をもっているものでもない。だからこそ、若い子たちはそこにリアリティや創造性を求めないんじゃないでしょうか。本当は綺麗でみんな愛し合っていて優しくて楽しい、日の当たる場所だけを歩いていたいんじゃないでしょうか。うすうすそれだけじゃないということを知っていても、それを表現しようとしないのは、怖いから。

想像力がないのでも、ボキャブラリーが少ないからでもなく、ただ怖いんです。

 

 

私は中学の頃からPCを使い始め、高校で携帯を持つようになりました。西野カナは同世代です(!?)

今、調べてみてびっくりしました・・・(笑)

例えば大人の人たちに想像してみてもらいたいんですが、とても信頼している仲のいい人が影で自分の悪口を言っていて、それを日常的に文章として見ることができたらどうですか。

本音や真実を見ようとすることを、やめると思います。

でも私は辞めなかったです。引きこもった時期はありましたが、それでも辞めることはできませんでした。誤解なきように言いますが、真実というのは世界に一つだけではなく、人の数だけあるものです。なので、「自分にとっての真実」だけが、自分にとって意味のあるものになっていく、のです。

人の真実が必ずしも自分にとっての真実にはなりません。だけど、ぺらい詩を書いちゃってそれを支持する人たちは、きっと見て見ぬ振りをしている何かが自分の中にあるはずです。

最初は怖いです、その扉を開けるのは。だけど、開けちゃうと新しい世界が待っています。Welcomeと言って迎えたいです。あなただけの世界へようこそ。そこは安住の地です。誰にも侵されることのない、君だけの場所です。だからどうぞ、恐怖を克服して下さい。そして、この世でたった一人の君という命を輝かせて下さい。そこに、他人との比較は意味をなしません。

ネット世代の私たちは、本当に対人関係が大変だと思います。だけどそれもいい経験になるでしょう。きっとこの世代だからこそ輝く何かがあるはずです。

 若い人は素晴らしいと思います。たまにこの人はインディゴチルドレンじゃなかろうかと思えるくらい、スピリチュアルな人がいます。傷つきやすかったり、外に出られなくなってしまったり、世の中に適応できない人がたくさんいるけれど、それは絶対に意味があります。今、なにもなくて全てが無駄で誰からも必要とされていない、なんて感じていても、そこに存在しているということは、絶対何か意味があるんです。だから生まれてきたのです。

そしてその意味というのは、世界にはありません。探すべき場所は、自分の中です。

 

 

 

スポンサードリンク