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六花ノ雨音

六花恵のABUNAI日記。思うままに世界を楽しむブログです。アクセサリー作家、トータルビューティー、音楽、アートなど。

精神の病と言うカモフラージュ

引きこもりとは

 

仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」

時々は買い物などで外出することもあるという場合も「ひきこもり」に含める 

 

「安心できる場所に退避する状態」 

 

 

ということはつまり、 世界は安心できない場所だ、ということになる。

私も半年ほど引きこもったことがある。

海外にいて引きこもったこともある(笑)

実体験から言うと、引きこもりとは

 

「外に出れないのではなく、外に出ないという選択が引きこもり」

 

これだ。

外でなにかがあって引きこもってしまうのではなく、外で迷子になるのが怖くてうちにこもる。世界は怖い場所ということを証明したくて外に出ない。

精神の病もこれと似ていて、自分は愛されていない、無価値であるという証明が精神の病だ。それを脳の病気だとかなんだとか理由をつけているだけで、根底にあるのは己の無価値観。これをただ証明したいがために精神病というのはある。

 

 

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(どうせ僕なんか・・・)

 

 

どうせ僕なんか・・・

そう思っていない人は精神の病にかからない。自分に価値があり、この世界に貢献できているという実感を持てる人は引きこもりにも精神病にもならないのだ。

 

例えば人は歩けるようになる。

歩ける、という思いが、赤ん坊が立てるようになる理由だ。

じゃあ例えば、人は飛べる、という思い込みがあったらどうだろう?

人は飛べるようになるのかもしれない。

もっと自分の身近なことで言うと、私は飛行機の運転ができると思い込んだら?

できるのかもしれない。

年収1億?

できるかもしれない。

 

全ては自分発信、自分の発信したことで世界は決まる。

だから、無価値観をもっている人間が作り出す世界も無価値観であり

価値のある人間と思っている人が作り出す世界は、価値であふれた世界になる。

 

 

精神病はすべて自分が自分に思っていることの現れだ。

人は常に何かを表現している。

さて、私は何を表現しているでしょうか?

私の中にある井戸のような空洞は、どのように表現されているでしょうか。

無価値観とは別の、空洞。

空洞です。

 

 

www.youtube.com

 

 

 

自分がただの筒のように感じる。

筒の中は空洞、空気しかない空洞

その中を通りすぎた何かは、通り過ぎる前とは違う何かになるのか?

何かを孕めばその空洞は空ではなくなるのだろうか。

この空洞に落ちた人は幸せになれるのだろうか

自身がない、だから誰もこの空洞に入れたくない

私が朽ちるのと同時にその空洞もなくなればいい

それまで埋まるかも期待できない空洞をただ飼っているだけ

私はただの筒

その筒を通ったら

何ものであっても浄化されたらいいのに

という希望が

いまのところあるだけ

 

 

 

 

 

 

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