六花ノ雨音

六花恵のABUNAI日記。思うままに世界を楽しむブログです。アクセサリー作家、トータルビューティー、音楽、アートなど。

嫌な事をするのが仕事なのだ。

自分の子どもに、「我慢を強いながら生きていくのが人生だ」と諭す親の気持ちが分からない。私は、例えばこの世がそんな世界ならば子どもは産みたくない、と思う。そして、どうしてそんな辛い世界に私を産み落としたのだろう、という疑問もわく。

 

既に別れていたのに私ができちゃったばかりによりを戻した親は、それから愛のない生活を16年ほど続けることになる。人生のスタートが愛のない国だった私には、愛のある国(サザエさんやまるちゃん)というものがよく分からなかった。友達の家に行くと、パパやママが仲良くしていて友達も笑っていて、他人なのに私の居場所もある。そんな驚きの景色が広がっていた。だから学校から帰ると、人の家にばかり行った。休日も友達の家をローテーションで回った。毎日同じ子の家に行くと「今日は家族でおでかけだからごめんね」と言われる事が増えてきたからだ。

年々、愛のある国もあるのだという希望がわいてきた。事実として、あったからだ。はじめの頃はそれが信じられずに、友達の家族はうちのように演技をしているのだと思っていた。しかしそれは違った。友達には価値があった。だから家族でおでかけするのだ。でも私は家族でおでかけできない。それは私には価値がないからだ。そんな考えをいつの日か正解にしてしまった。

 

 

さきほど、このブログを読んでびっくりした。

 

ibaya.hatenablog.com

 

 

日本にうまれても、文字が書けない人がいるという事実に、私は衝撃を受けた。文字が書けないのにどうしてこんな綺麗な文章を書く事ができるのか分からなかった。

 

インターネットや本を通じて、いろいろな文章を読んできたつもりですが、坂爪さんの言葉にほど惚れたことはありませんでした。まるで太陽のような希望です。お礼を言わせてください。本当にありがとうございます。言葉の中に世界があって、そこには自分の居場所もありました。

 

昨日書いたブログの花ように、ここに産まれることを選択したのは自分だと思う。中絶すればよかったのにしなかったのは、ここに産まれたいという強いメッセージを母が受け取ったからかもしれない。(現に下の子は中絶している)

そして、弱いながらも真摯に生きているからこそ、この人の文章に心打たれるのだと思う。そこに技術なんかなくても、伝わることには関係ないのだ。

 

私は、こういう家に産まれてきて希望を持つ事が出来た。まるで戦後のなにもない日本のように。そしてこの方も確かな希望を持ったと思う。社会は相変わらず彼の目には厳しく映ったままかもしれないけれど、そのまま生きていけばいいという希望が。

 

 

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嫌な事をするのが仕事なのだ。という思考の罠

 

 

嫌な事をするのが仕事でそれで生きていけるのなら、好きな事を仕事にしたらもっと楽に生きていけるとはどうして思わないのだろうか。

きっと彼らには、希望がないからだと思う。どうせだめだと甘んじて、拗ねてしまった。現状に甘んじることほど楽なことはない。失う怖さが結果的に損をさせる。失ってもいい、もう自分には怖いものなどなにもないと思えた時、希望がわいてくる。だめで元々だ、あとは好みのもので満たすだけ、そんなマイナスからのスタートでいいのだと思う。

そして私は復讐めいた生活をしている。まるで小学生の頃に戻ったような、何もできない存在。親がいないと生きていけないという今この状態は、正解なのか分からない。ただの復讐のようにも思えるし、甘えのようにも思える。

ただどうしても、人生が我慢を強いるだけのものに思えない。食べていくためだけに形だけの自立をするくらいなら、何も出来ない自分のまま生かされている、子どもの頃感じられなかった自分の価値を、今はただ感じたい。

 

 

 

 

 

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