六花ノ雨音

六花恵のABUNAI日記。思うままに世界を楽しむブログです。アクセサリー作家、トータルビューティー、音楽、アートなど。

愛が欲しいなら愛を与えよの本当の意味〜映画マトリックスより〜

ブーメランのように与えたものが得るものだ、という法則はおなじみですが、愛されたいなら誰かを愛せよ、という言葉をそのまま実行している人がいます。自分が愛されたいがために他人に愛を与える・・・。それはそれでいいのですが、ちょっと解釈が違う気がするのです。

 

まず人は、自分が持っていないものを他人に与えることはできません。

もちろん愛は誰しもが持っていてそのものなのですが、ないと錯覚している人が、愛が欲しいためだけに与えようとする、これには無理があります。だって持ってないのですから。

なので、愛を与えよの意味は「まず自分に与えよ」となります。

 

そして、自分に与え尽くしてもう手のひらからこぼれ落ちている、それを他人がただ見つけて拾う、それがつまり与えることではないでしょうか。

与えようとする行為、これは与えているということにはなりません。ただ、与えようとしているだけです。思い出して下さい、このシーンを

 

 

 

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マトリックスより、柔術のシーンから)

 

 

愛を与えようとするな、自分が愛だと知れ。

これはもう何にでも応用できます。

 

綺麗になりたいと考えるな、既に綺麗だと知れ

金持ちになりたいと考えるな、金持ちであると知れ

ゴールに入れたいと考えるな、玉はゴールに入るのだと知れ

 

 

この考え方です、この考え方。

したいこと、ほしいもの、自分が求める物は既にここにあると知れ

そして、もしここにないというのならまずそれを自分に与えよ

もう動けないというほど食べ尽くせ

 

そうすれば自ずと手に入れるだろう

既にここにあったと知るだろう

その時初めて他人に与えることができる

 

与える、というのではなく、気付いたら与えていた、ということになる。

 

これが与えるものは得るもの、の本当の意味です。与えるとは他人にではなく、まず自分に、なのです。

 

 

 

 

 

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